映画「最後の忠臣蔵」

Amazonプライム・ビデオで鑑賞。

 

吉良邸討ち入りから16年。討ち入りの直前に姿を消した瀬尾孫左衛門は、大石内蔵助からの密命をおびて、京都で彼の隠し子を育てていた。

 

あとから調べたところ、瀬尾孫左衛門とは実在の人物で、実際になんらかの理由でいなくなったことが知られている。そもそも彼は浅野家の家臣ではなく、大石家の家臣であるため本来は身分的に討ち入りのメンバーの資格はなかったらしい。

そのあたりの不思議さなどが、彼の存在理由やいなくなった理由について想像させてくれるのだろう。

 

本作はとにかく桜庭ななみ可愛らしさと、安田成美の美しさが非常に良い目立っていた。少女らしい桜庭ななみと、妖艶な安田成美の対比もとても良かったし、加えて、自然の美しい映像とともに、人間の美しさがうまくコラボレーションされていた。

途中、キーワード的に出てくる人形浄瑠璃は、人間、自然、そしてその間のものというのを表していたのかもしれない。

 

本作の良さはほういうところに尽きるのかも。

 

ストーリー自体は、最初の30分である程度想像はできたし、育てた子供が嫁いで行くという展開は珍しいものではない。

珍しいものではないが、そういう典型的な物語を丁寧に描かれるとしっかりと感動してしまう。見慣れたストーリーにもかかわず、号泣してしまった。

 

ただ、最後はああいうのも形にせざるを得なかったかもしれないが、ほかになかったのかと思う。自分がいなくなった後の、自分が育てた子どものことを考えるとああいう結論にはたどり着かないのではないだろうか。

 

そういうことに想い至らずに、(至ったとしてもそれよりも)主人の後を追うことを選ぶというのは、結局は自己満足の世界観なのではないか、それが武士道なのだろうかという疑問が残る。

 

歌舞伎『月光露針路日本 風雲児たち』

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三谷歌舞伎『月光露針路日本 風雲児たち』を観た。 

これは三谷幸喜作・演出による、みなもと太郎の人気歴史漫画『風雲児たち』を原作としたもの。

 

大黒屋光太夫一行の遭難から始まり、仲間の死を経ながら、日本への帰国を目指してロシアを旅していく。そして、サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナに拝謁した後に帰国の途につくまでを実際の大黒屋光太夫の足跡を描く。

 

舞台が外国ということもあり、いわゆる歌舞伎とは雰囲気の違ったいわゆる演劇の手法を用いながらも、義太夫や三味線など歌舞伎の演出も組み込まれた新しいチャレンジ性を感じた。お客さんも、いつもの歌舞伎座よりもいろいろな層の人がいたように思う。

 

中身としては、三谷作品ということもあり、一幕目、二幕目と主に笑いが中心となって軽みをおびながら展開していくが、三幕目ではロシアに残る仲間との別れや、最後のシーンなどは最後に向かって重さを帯びてくるような演出により、最終的に結構しっかりした見応えのあるないようになった、という印象。

 

そもそも、一幕目、二幕目が軽すぎた感じがしていて、それは多分幸四郎のせいが大きい。

彼はどうやら喋りが軽いようだ。古典歌舞伎の時は普通なのだが、新作で現代語をしゃべらせると声に品がない。だから、怒鳴っているような、言い方が悪いが、ただ大きい声を出しているだけのような印象になってしまうのではないか。

 

一昨年くらいにみた、夢枕獏の作品で空海を主人公にした新作歌舞伎でも幸四郎(確か当時は染五郎)が主役だったが、同様に軽すぎという感想だった。あれは結局いいところ無しだった。

 

今回は他の役者や、脚本的なところで助けられてのか途中で見ていられないということにはならなかったが、幸四郎でなかったらどうだったのか(良かったのではないか?)という疑問すらある。

 

ポチョムキン白鵬もなんか微妙な感じだった。

 

台詞回しの松也はとても良かった。台詞回しは歌舞伎ではいろいろなら形があるし、ああいうのもありなんだと思う。あれこそ、歌舞伎的。

ロシアに残された二人が、光太夫に連れて行ってくれと頼み込むあたりは、確実に俊寛を意識している。

 

期待していただけに、少し拍子抜けたというのが実際のところだけど、眠くなることなく三幕観れたのは脚本が良かったから。

 

歌舞伎とはなにかと考えていくと、役者をかっこよく見せること、ではないかと思い至る。もっと役者自体を魅せる工夫があれば、より良くなるのではないだろうか。

 

八木澤高明「江戸・東京 色街入門」

タイトルに「入門」とあるように、東京都内の色街について、歴史的背景と現状についてまとめたもの。

色街歩きに興味がある読者が、本書を頼りに実際に外に出ていくのを想定しているようなつくり。

 

ただ、入門書だからか、もう一歩踏み込んで欲しいというところもあり、色街についての表面をサラッと撫でた感じなのがとても残念。なかなかここまで網羅的に都内の色街を扱う一般書は無いだけに。

 

たとえば、非常に興味深く感じた内容として、幕府の非公認の色街「岡場所」で有名だったところがみな有名な寺社の門前であるという指摘。著者は町奉行寺社奉行の管轄の関係で取り締まられなかったと指摘しており、頷けるが、そもそも聖と俗の結びつきは、日本全国、世界中でも同様の例があるので、その辺りの関係性についても踏み込んだ考察をしてほしかった。

 

また、現在の東京の「色街」というと、鶯谷や五反田、蒲田などもでてくるが、いまの「色街」との断続性についても気になるところだった。吉原や池袋、渋谷、錦糸町など現在も続く街以外では、どのような歴史的背景によって「今」が成り立ってきたのか、逆に歴史的背景がないのであればそれはそれはで何故なのか非常に興味深い。

 

最近では、飛田新地など地方の色街を扱う書籍が目立つような気がしているが、古地図で街歩き的なブームにも関係しているのだろうか。

 

アングラな内容でないと売れなくなっているとか?

 

ちなみに著者の八木澤高明さんはウキペディアによると「裏社会や日陰者などを取材対象にする」ということで他にも興味深い著作が多くあった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/八木澤高明

司馬遼太郎「韃靼疾風録」

今まで読んできた司馬遼太郎の小説と比べると何か違和感がある気がしながら読んだ。

 

勉強不足だったが、「韃靼疾風録」を読んでいる途中で、本作が司馬遼太郎の小説としては最後の作品だと知った。その後は「街道をゆく」などの紀行文やエッセイが中心となり、小説を書くことはなかったという。

 

もしかしたら、それが違和感の正体はここにヒントがあるかもしれない。

この作品が司馬さんにとって最後になるべくなんらかの意味を持っていたのだろうか。

ノモンハンを書こうとして出来なかったという理由もあったようだが。

 

また、違和感の正体としてもう一つ、「憧れの強さ」がある気がしている。司馬さんのモンゴルや中国東北部への憧れは色々な書物から見て取れるが、その想いの強さが表れすぎて、少しだけ冷静さ、想像の飛躍、などが、今までの作品に比べて「荒さ」を目立たせてしまったのではないだろうか。

 

だだ、本作は、実在しない庄助という主人公、作家自身が自分を重ねて、本当は自身が見たかった歴史の転換点をみせているようだった。

それは、きっと幸せな時間だったのではないだろうか。

 

庄助の明や清の行く末の予想がことごとく外れていく様も、司馬さん自身がそこにいたら、庄助のように考えるのだろうと思うと受け入れられる。

 

なんとなく本作のあとにでてくる作品として浅田次郎蒼穹の昴が位置付けてみるのも乱暴な話ではないように思う。

 

内田樹「街場の読書論」

内田樹さんの文章は読みやすい。

そして分かった気になる。

自分たちの周りの問題を、彼の文章を、通して理解した気にしてくれる。

しかし、それを自分で他人に説明しようとしても全然できず、またできたとしても自分の言葉にならず、結局、理解できていないことに気がつく。

そして、また彼の本を買う。

この繰り返しにおいて、少しずつ「わかること」もでてくる。

彼の主張は言葉を変えて何度もでてくるので、彼の言いたいことの「雰囲気」がわかるようになり、それが「わかること」になるのだと思う。

ただ、致命的に分からないことがらとして、彼はときおり、彼の身体を通した思考を展開する。身体を通しての思考は、「なんとなく合ってそう」とは思えるけれど、本当かな?と思うことがあっても、それを批判することができない。だって、それは私の身体を通して考えたことだから、と言われてしまうと根拠も出せないだろうから、少しズルイやり方のようにも思う。

 

話はそれるが、このブログを始めた理由が本書にある。

 

「脳の機能は「出力」を基準にして、そのパフォーマンスが変化するのである。平たく言えば、「いくら詰め込んでも無意味」であり、「使ったもの勝ち」ということである。書斎にこもって万巻の書を読んでいるがひとことも発しない人と、ろぬに本を読まないけれど、なけなしの知識を使い回してうるさくしゃべり回っている人では、後者の方が脳のパフォーマンスは高いということである。」

 

ここを読んでドキッとして、とりあえず、「うるさくしゃべり回る」ことは無理にしても、読んだ内容をアウトプットする方法として、ブログに書くということを思いつき、すぐさまはてなブログを開設するに至ったというわけである。

原武史「天皇は宗教とどう向き合ってきたか」

原武史天皇は宗教とどう向き合ってきたか」を読んだ。とても面白く、名の通り天皇と宗教との関わりで知ることが多くあった。宗教とは直接関係がないが、戦後の昭和天皇のカリスマ性が残った理由としてマッカーサーが東京に引きこもっていたせい、という指摘は面白い。

 

久しぶりに誤植をみつけた。

 

以下、線を引いた箇所をメモとして。

明治天皇が新しい文明をもたらしたというイメージ戦略

・君民一体の空間としての宮城広場、国体の視覚化という戦略

二・二六事件における君民一体の価値。君民の間の奸臣を取り除く目的。

・戦中期の昭和天皇の神頼みの傾向

昭和天皇と皇太后節子との確執、青年期からの。

・皇太后節子の政治介入、西園寺の懸念、神功皇后への憧れ。

昭和天皇、皇太后の神頼みの態度から戦争末期まで勝ちにこだわった姿があり、それが戦争の泥沼化に繋がった責任。

マッカーサーが東京に引きこもったから、昭和天皇のカリスマ性がのこった。

昭和天皇の責任の取り方として神道をすててキリスト教にむかう

昭和天皇靖国に行かなくなったのはA級戦犯の合祀がきっかけ。

・平成の天皇のスタイルを完全に定着させたのが東日本大震災

ハンセン病の隔離政策に皇太后節子の影響が強い、その反省として平成の時代はハンセン病施設に天皇皇后がいった。

昭和天皇が沖縄のアメリカ統治の延期を望んでいた、その反省も平成の天皇が沖縄を気にかけた理由の一つ

・被災地訪問で、天皇と政治家がコントラストとしてうつる、政治的な意味合いを、もつ。

・新しい時代の天皇像を作ることは、「おことば」の趣旨から離れることになる。平成流は雅子皇后の病気がポイントになる。あと登山。

 

村上春樹「猫を棄てるー父親について語るときに僕の語ること」と彼の訳した「心臓を貫かれて」について

先週の金曜日、村上春樹が訳した「心臓を貫かれて」が読み終わった翌日に「文藝春秋」で彼が今まで語らなかった父親についての文章が載ったことを、朝日新聞の朝刊で知った。

 

それぞれを読んでみて、「心臓を貫かれて」の村上春樹版だと強く感じた。

「心臓を貫かれて」のあとがきにあるトラウマについての表現などが非常に似ているし、ゲイリー・ギルモアと彼の父親の経歴は全く違うものだとしても、父親の持つ暗闇を描くという仕事については、マイケル・ギルモアからの影響が大きいのではないかと想像している。むしろ、彼が翻訳を手がけたのも父親のことが頭の片隅に頭だからではないかも想像してしまう。

 

感想としては、まずは、ここまで。