原武史「天皇は宗教とどう向き合ってきたか」

原武史天皇は宗教とどう向き合ってきたか」を読んだ。とても面白く、名の通り天皇と宗教との関わりで知ることが多くあった。宗教とは直接関係がないが、戦後の昭和天皇のカリスマ性が残った理由としてマッカーサーが東京に引きこもっていたせい、という指摘は面白い。

 

久しぶりに誤植をみつけた。

 

以下、線を引いた箇所をメモとして。

明治天皇が新しい文明をもたらしたというイメージ戦略

・君民一体の空間としての宮城広場、国体の視覚化という戦略

二・二六事件における君民一体の価値。君民の間の奸臣を取り除く目的。

・戦中期の昭和天皇の神頼みの傾向

昭和天皇と皇太后節子との確執、青年期からの。

・皇太后節子の政治介入、西園寺の懸念、神功皇后への憧れ。

昭和天皇、皇太后の神頼みの態度から戦争末期まで勝ちにこだわった姿があり、それが戦争の泥沼化に繋がった責任。

マッカーサーが東京に引きこもったから、昭和天皇のカリスマ性がのこった。

昭和天皇の責任の取り方として神道をすててキリスト教にむかう

昭和天皇靖国に行かなくなったのはA級戦犯の合祀がきっかけ。

・平成の天皇のスタイルを完全に定着させたのが東日本大震災

ハンセン病の隔離政策に皇太后節子の影響が強い、その反省として平成の時代はハンセン病施設に天皇皇后がいった。

昭和天皇が沖縄のアメリカ統治の延期を望んでいた、その反省も平成の天皇が沖縄を気にかけた理由の一つ

・被災地訪問で、天皇と政治家がコントラストとしてうつる、政治的な意味合いを、もつ。

・新しい時代の天皇像を作ることは、「おことば」の趣旨から離れることになる。平成流は雅子皇后の病気がポイントになる。あと登山。