村上春樹訳「心臓を貫かれて」

この本との出会いは、河合隼雄村上春樹村上春樹河合隼雄に会いにいく」の中で「殺すことによって癒される人」は実際に存在しているのだとして、村上がいま訳している本書を紹介している箇所を読んだことによる。

何を言っているのか分からず、気になり購入した。

 

本書はアメリカで自分の死刑執行を求めて訴えを起こした殺人犯であるゲイリー・ギルモアの物語である。

 

ゲイリーの犯罪を犯すことになったターニングポイントを、実弟が自分たちの家族の歴史を振り返っていく。

その中で、ゲイリーの犯罪が彼らの父母や祖父母にまで連なる負の歴史によるものだと気がつく。

 

「いろいろな問題の根は家の内部にあるのであって、まわりの環境のせいではないという事実」という、哀しい事実に直面する。

 

自分の家族の負の面を直視し、事実を丁寧に探り叙述していく。

 

まるでフィクションを読むような、本当にこんな家族があるのかと信じられなくなるような、そして時に目を覆うような家庭内の暴力。

 

それとともに、アメリカの貧しい家族という、日本においてはテレビなどでは決して知ることのできない環境に生きる人たちの様子–それはもしかしたら多くのアメリカの人々の生き方、を垣間見ることができた。

 

日本では犯罪加害者の家族と、加害者は別であり、家族がバッシングの対象になる風潮に対して少しずつ批判的な発言も見られつつある。

宮崎勤の家族が自殺したり、離婚したりなどで家族がバラバラになってしまったのは有名。

最近では秋葉原無差別殺人の加藤智大の弟が自殺したり)

成人した個人と家族が別であるという考えは最もであるが、本書を読むにつれて、家族というものが人が変わる要素として一定の要素になるということがあり得るとすると、加害者と加害者家族との関係において家族に全く責任がないとは言い切れない部分もあるのかもしれないとも感じている。

 

訳者の村上春樹も、一定の閾値を超えたトラウマはそれを克服することは困難という認識を示しているように。

 

たしかに、プラスの効果–例えば学力や、自己肯定感、などは家族の影響が大きいとするならば、犯罪などのマイナス面についても家族の影響が全くないとは言い切れないだろうとも思う。